Enchanted Night | In The Groove

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a beautiful tomorrow yea

まるで、本の墓場のようだ。ここに並んでいるのは、すべて死んだ本。そう思うと、この場所のなんともいえない不気味さの理由がわかったような気がした。こんな場所なら、埃のひとつでもあっていいと思ったが、不思議と本棚は清潔で、隅々まで磨き上げられている。墓守のような人間がいるのだろうか。今こうやっている私を、もしかしたらじっと見ているのかもしれない。思わずあたりを見まわしたが、相変わらずそこは静かで、何の気配もなかった。ため息をつき、目を本棚に走らせていると、胸をぎゅん、と掴まれたような気になった。

 

ブローディガンの「愛のゆくえ」があった。姉が好んで読んでいたものだ。昔から読書家だった姉の本棚には、私の興味を引かない本がたくさんしまわれてあった。そのどれもが手垢がつくまで読まれており、中でも「愛のゆくえ」は特別だった。姉のいない間にぱらぱらとページをめくったことがあったが、私にとっては退屈で、きゅうきゅうとした日々の中、すぐにその存在を忘れてしまった。すっかり忘れていたはずなのに、この、瀬戸内海の小さな島のホテルで出会ったその本は、異様なほどくっきりとした陰影をもってそこにあった。たくさんの死んだ本の中、「私を見つけてよ」と、こちらに訴えかけてくる生命感があった。

西 加奈子著『うつくしい人』より

 

ウィンブルドン選手権が閉幕

 

シェイクスピアは「どんなに長くても、夜はいつか明ける」という名言を残したが、去る713日(金)の夜9時過ぎに始まった「ウィンブルドン選手権」準決勝の1試合アンダーソンVSイスナー>戦は、ビッグサーバー同士の対決となり、グランドスラム史上2番目の長さとなる6時間36にも及ぶ終わることのないような、デジャヴなビッグサーブの打ち合いを延々と見せられ、その変化のない退屈な光景は、呆れを通り越して、苦痛だったが、それは解けない魔法のような、長い夜だった。平均的な90分映画であれば、4本以上の上映時間だ。

 

ジャザノヴァの新作『The Pool』をBGMに、23時過ぎからWOWOWにチャンネルを合わせ、同準決勝の2試合ナダルVSジョコビッチ」戦を楽しみに待っていた頃、すでに子供たちは眠りに就き、夜は更けていった。俺はバルセロナチェアに座り、よく冷えたローランペリエロゼシャンパン片手に、ソニーの4K大画面テレビに映し出されるウィンブルドンの客席のファッションにも注目していた。コルビュジエのカッシーナ社製ローテーブル上には、リチャード・ジノリのベッキオホワイトの長方形プレートに盛られた、千疋屋の「国産メロン」と、日本橋三越のイータリーでよく購入する「イタリア産の生ハム」、そして「イタリア産モッツァレラチーズ」のカプレーゼが用意されていた。

 

数時間が経過し、俺はシャンパン1本空けた後、タンカレーNo.10のジントニック片手に、

ソニーのタブレットでdマガジンの中からグルメ雑誌「dancyu」の<夏の鮨>特集に目を通していた。結局、ナダルの試合が始まったのは翌朝4時頃で、現世界ランキング1位のナダルと元同1位のジョコビッチBIG4対決は、ウィンブルドンの大会規定により、ロンドン時間の23時過ぎ(日本時間の朝7時過ぎ)に中断となり、4-6, 6-3, 6-7という1-2のスコアのまま、順延となったのだ。

 

そして土曜日の夜に行われた同試合は、ナダルが6-3と先取し、2-2のタイブレークの末、第5セットは8-10でジョコビッチが奪取し、ジョコビッチが勝利を収めたのだ。ジョコビッチのサーブが安定エース23)していたのとは対照的に、ナダルのそれ(エース8本)は不安定の連続だったとはいえ、勝てる試合でもあったが、今回は運がナダルに味方しなかったとも言えよう。時折、白い蝶々が芝生のコート上を舞い、それを気にかけていたナダルだったが、彼のテニス人生、よい時もあれば、悪い時もあるわけで、それがテニスなのだろう。そして、ジョコビッチは完全復活を果たした。

 

ウィンブルドンの私的なベストマッチを選ぶならば、準々決勝の「ナダルVSデルポトロ」戦に他ならないが、昨日、ATP最新ランキング(716日付)が発表され、ナダルは引き続き1、そしてジョコビッチが10に返り咲いたが、今後はフェデラーが後退し、「ナダル、デルポトロ、ジョコビッチ」というBIG3>が支配する時代が、そんな遠くない未来に訪れるはずだ。マレーにも期待したいけれど。

 

日本人作家<西 加奈子>と<嶽本 野ばら

 

話は変わるが、去る5月、渋谷区にある某大学の女の子と一緒に飲む機会があり、20代女子のお気に入り作家を訊いたところ、酒の席で名前が挙がったのは、女子大生に人気!?の西加奈子と、嶽本野ばら2人だった。

 

また、かつて俺のブログの読者で、現在ニューヨークの名門大学の大学院に在籍する20代女子のブログを先日久々に覗いた際、彼女のブログで紹介されていたのが、偶然にも西加奈子の小説だったことに驚きを隠せなかった。なお、彼女が取り上げていた同作家の小説は『サラバ!』(2014年)だ。

 

そう、2か月前に耳にした20代女子のお気に入り作家2が、当時は俺の興味を引かなかったとはいえ、頭のどこか片隅にずっと残っていて、今夏ようやくそれを手に取ったわけだが、その小説とは、西加奈子著『うつくしい人』(2009年)と嶽本野ばら著『変身』(2007年)だ。

 

過去、外国人作家(例えば「オスカー・ワイルド」「フィッツジェラルド」他多数)、とりわけ古典と呼ばれるような小説は何度も取りあげたが、このブログで日本人作家を取り上げることはとても珍しい。以前取り上げたのは、ニューヨークタイムズ紙で話題となった小川洋子の小説であり、2013219()付ブログ“Is that the end of the story?”(テーマ: 本・雑誌)及び2013226()付ブログ“Insatiable Critic”(テーマ: 本・雑誌)の中で取り上げたので、興味がある方はどうぞ。

 

ブログ冒頭、西加奈子の小説『うつくしい人』から一部引用して抜粋したが、その中に登場する米国人作家<リチャード・ブローディガン>著『愛のゆくえ』(1971年)にインスパイアされ、彼女が同小説を書き上げたことは容易に想像できるはずだ。なお、小川洋子村上春樹、そして高橋源一郎もブローディガンに影響を受けたそうだが、高橋氏が翻訳したジェイ・マキナニー著『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』(1987年)は俺のお気に入り小説のひとつだ。

 

話を戻すが、嶽本野ばらの小説『変身』は、フランツ・カフカ著『変身』にインスパイアされており、カフカのそれは「ある朝、グレゴール・ザムザがなにか気がかりな夢から目を覚ますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な毒虫に変わっているのを発見した」で始まる一方、嶽本氏のそれは「ある朝、星沢皇児が妙に気掛かりな夢から眼を覚ますと、自分が寝床の中で見知らぬ恐ろしくハンサムな男に変わっているのを発見した、のです」で始まる(笑)。そして、コム・デ・ギャルソンをはじめとしたハイブランドの固有名詞が列記されるなど、先述した西加奈子の『うつくしい人』とは趣を異にするある男の物語であり、『変身』の表紙はメリーゴーラウンドだ。

 

ところで、女子大生に人気の赤文字系雑誌『CanCam』が運営するサイト(旧: ウーマンインサイト)に、西加奈子インタヴュー記事祝!直木賞 西加奈子に聞く、5%の喜びが支えた「サラバ!」誕生秘話>を見つけ、その中の「「男の子が主人公であることがジョン・アーヴィングやスティーヴン・ミルハウザー、JD・サリンジャーなど、男の子の一人称ものが好きなことにも関係あるかもしれません。いい距離感ができて、書きやすいので」の一節がとても印象に残った。アーヴィングサリンジャーの説明は不要だと思われる一方、俺が近年読破した作家のひとりがミルハウザーだったため、それも少しばかり驚きだった。

 

死ぬほど退屈な、少年が微睡みの中で見る、

終わりのない夢を描いた初期傑作長篇『ある夢想家の肖像』と、

中篇小説のおとぎ話『魔法の夜』は、夏の季節に読むのに最適なそれかもしれないし、前者は魅惑と退屈の物語だが、三連休前日の金曜日の深夜に生中継されたウィンブルドン選手権準決勝の第1試合は、何度も言うが、魅惑とは対極にあり、ビッグサーバー同士の、退屈の墓場のようなそれだった。或る意味、魔法の夜だったかも、ね。

 

最後に

 

ニューズウィーク誌(515日号)に掲載された英国人<コリン・ジョイス>のコラム「村上春樹の小説を僕が嫌いな理由」は、同作家の小説を読まない俺にとっても面白いそれだった(笑)。とりわけ、その最後の一節は的を射ていた(笑)。

 

なお、村上氏の小説は俺の趣味ではないが、彼が翻訳したフィッツジェラルドのそれをはじめ、数冊購入しているが、彼は翻訳家としてはとても優れていると思うし、彼が音楽家について評論したエッセイ意味がなければスイングはない』はとても興味深く、「ウィントン・マルサリスの音楽はなぜ(どのように)退屈なのか?」の章では毒づいていた一方、結びの「僕はこれからもたぶん、ウィントン・マルサリスの音楽を聴き続けていくだろう」という締め方はズルい言い訳だろう。

 

道徳的な書物とか非道徳的な書物といったものは存在しない。

書物は巧みに書かれているか、巧みに書かれていないか、

そのどちらかなのである。ただそれだけでしかない。

―オスカー・ワイルド

 

Have a beautiful day!